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湯立山(玉屋町)

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湯立山の概要
 大津市教育委員会、社会教育課の調書(昭和40年)によれば、湯立山の創始は曳山中最古で寛永3年(1826年)と伝えるという。天孫神社の祭事に湯を奉献する行事があり、その湯はこの山から捧げ、この湯をかけられた人は五穀豊穣、悪疫退散、商売繁昌すると縁起を祝う。現在の湯立山は建築・工芸方面では江戸初期や同中期に溯るものがなく、江戸末期およびその後の製作に係るものと認められる。

構 造 形 式
 他の曳山と同じく上・下層に大別できる三車輪をもつもので、主体構造、軸組は他の山と同型である。下層は四方に高欄付の縁をめぐらし、その内側左右は菱格子欄間をもつ透塀型、前後は蔀(しとみ)格子型の繊細なものを飾る。これ等は天孫神社の建築に型取るという。
 上層は型の如く内転(うちころ)びの四本柱「漆塗、要処に熨斗目飾(のしめかざり)を極彩色で盛り上げ〕を立て、斗栱三ツ斗、屋根は妻を正面とする入母屋、柿葦(こけらぶき)を模する。斗栱間(ときょうま) 〔頭貫(かしらぬき)上」には青竜・白虎・朱雀・玄武の四神彫刻を飾る。天井は格天井、軒は一軒、二本ずつの吹寄垂木(ふきよせだるき)である。妻飾り狐格子(きつねごうし)、懸魚(げぎょ)は鰭(ひれ)付のかぶら懸魚(かぶらげぎょ)、棟端は下層の透塀と共に獅子口。
 大体以上のようなものであるが、これ等の各部材のもつ様式は江戸末期様式で、寛永まではとても溯れない。その時期は未確定であるが、この山を納める土蔵の棟木に「文致十三年……」 (1830年)の墨書があり、現在の湯立山の造立年代の参考とすることができる。結局建築・工芸方面では京都の祇園祭の山や鉾などとおよそ近い頃のものと言えそうであるが、彫刻・漆工・画工・金工等の方面で当時の最高作を目指した優秀作品が揃っている点を第一に見るべきであろう。

近藤豊 記「大津祭総合調査報告書(3)湯立山 滋賀民族学会発行 1972年発行」より抜粋

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