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西王母山(丸屋町)

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西王母山(桃山)の概要
西王母山は丸屋町から出る山で、普通に「桃山」ともいっている。大津市役所の調査資料によればその製作年代は明暦二年(1656年)と古いが、現在のものはその後の何回かの改造や新造部分が多く、建築関係では江戸初期まで溯るところは少ないようである。この山の由来は上記資料によると次のようである。むかし国栄え、民の生活が安定していたとき、西王は天から舞い降り、天子に桃の実を捧げた。この実は唯の実でなく、三千年に一度開花し、唯一つだけ実るもので、これを捧げたのは天子の齢を祝い、世の平和を祝福したものである。この説話をもとにできたのが西王母山、通称桃山であるが、のちこれに桃太郎の話が付加され、囃子に合わせて桃の中から出た桃太郎が扇子を開いて桃の枝を渡り、舞い終って元の桃の中へ戻るという所作をするのである。能楽の「西王母」から思い付いたと言われる。
山の構造形式は、前後唐破風、三車輪、という。主体構造は他の山と同様で特別変ったところはなく、下層は櫓の形に貫、筋違を通し、これに上層まで伸びる通り柱を取付けたものである。
意匠、装飾面で他の山と変っているところは第一に屋根面と軒先の取扱いで、他の山が多くは柿葺(こけらぶき)か、木賊葺(とくさぶき)を模しているのに対し、この山は瓦葺を模し、瓦の見付(下端正面)に当るところが三つの曲線の集まりから成り、軒先と妻(唐破風のはし)は蕨手型の飾り付瓦を葺いていること、大棟上に比例を無視した不似合にも大き過ぎる飛竜(有翼の竜、応竜などともいう)を飾ることである。前者のような瓦は実際には見られないが、近世初期以後の障屏画などの中には中国風をあらわすため同類の屋根や軒先が描かれているのがあり、これ等をモトにして作られたものと推定される。
細部彫刻では前後の懸魚は精巧な牡丹(金箔置)、頭貫には雲の影画、木鼻は獅子頭、衣桁の陽柱透彫金具は「鉄線唐草」、唐破風には「桃」などが装われている。

近藤豊 記「大津祭総合調査報告書(13)西王母山 大津祭曳山連盟 大津市教育委員会発行 1978年発行」より抜粋

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