粟津晴嵐 瀬田の夕照 曳山の正面 | |
比良暮雪 曳山の背面 | |
唐崎夜雨 三井の晩鐘 進行方向の右面 | |
矢橋帰帆 堅田落雁 進行方向の左面 | |
箱ふた表に享保三年とあり、源氏山が成立時の彫刻と考えられる。中央の紫式部のからくりを石山秋月に見立て、残り七景を欄間彫刻としており、統一のとれた構成となっている。彫刻の配置はびわ湖の南湖(びわ湖大橋より以南)を中心に南を向いた時の地理的位置関係に似せて配置されている。例えば正面はびわ湖南端にある 粟津と瀬田の唐橋。右は西側に当たり唐崎と三井寺 等である。 ■大津随一の名勝「近江八景」 成立は、明応9年(1500)8月13日に近江守護六角高頼の招待で、近江に滞在した公卿の近衛政家が近江八景の和歌八首を詠んだことが始まりだと言われている。
石山の秋月 「石山や鳰(にお)の海てる月かげは 「露時雨もる山遠く過ぎきつつ 「雲はらふ嵐につれて百船も 「真帆ひきて八橋に帰る船は今 「思うその暁ちぎるはじめとぞ 「夜の雨に音をゆづりて夕風を 「峯あまた越えて越路にまづ近き 「雪ふるる比良の高嶺の夕暮れは |
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