大津祭 曳山連盟ホームページ
紫式部 源氏山ホームページ
歴史と由来
  ■籤取式 9月16日
  四宮神社 祭りの行事は、祭りが終わったときから次の年に向け曳山連盟サイドで行政や警察との対外交渉。多くの打合せに時間を費やし、寄付のお願いを含めた資金調達が始まる。
しかし一般町衆が「そろそろ祭りか!」と実感するのは天孫神社で行われる「籤取式(くじとりしき)」からである。
  籤 籤は2回引く。「本籤」で巡行順を決める。
不公平がないよう最初に「座籤」で「本籤」を引く順番を決める。
  座籤を取る 「座籤」を引くのは境内の中央。「本籤」は場所を変え神前で行う。近年籤取式を一般公開しているので、興味のある方は是非一度ご覧いただきたい。
  本籤 これが「本籤」。神前にて引く。狸山が籤取らずなので籤の数は12枚である。
座籤より字が大きく籤の本流であることを強くアピールしている。
  本籤を取る 籤に「はずれ」はないが、巡行順は各町内にとって都合の良し悪しがある。悪いのを引くと町内に帰りにくい。近所の人のがっかりした顔が目に浮かぶ。どの籤を引くべきか悩むそうである。しかし結局神様は公平である。
  ■各駅に提灯が飾られる  
  JR大津駅 上記と同時期ぐらいにJR大津駅構内にも提灯やポスターなどが飾られる。写真の赤い提灯に13基の名前が刻まれており、毎年巡行順に並べかえられる。駅長の細やかな配慮である。
  JR大津駅 京阪浜大津駅でも提灯が並ぶ。
  ■囃子の練習各町で始まる 9月16日より10日間
  囃子の練習 囃子の練習が始まるのも同時期である。小学校1年生から、練習を見守る町の長老まで約10日間、2時間位を共に過ごす。7から9時位まで、町中で囃子の音を耳にすることができる。
  町家での練習風景。最近の子たちが正座をする数少ない場でもある。(左図は写真撮影の為おとなしい。)
  ■ちまきを各町内に配る  
  粽(ちまき)は祭りの代表・副代表の町が京都の製作所まで取りに行き全数をトラックに積み込む。その数数万本。ほとんどの囃子方が自費で購入し本祭りでみなに投げ渡す。投げる本数は多いほど楽しい。一人で数百本購入する者もいる。囃子方が、親や妻に交渉を必要とする重要な時期でもある。
  天孫神社前で輸送車ごと一気にお払いをしていただく。
  お払いの後、13ヶ町に順番に分配して回る。
  人海戦術である。
  ■巡航路調査  
  巡行路調査 巡行路の調査も欠かせない。NTTや関電、CATV等の新しい配線が新たに引かれていないか?低すぎて曳山に当たらないか?長い棒でチェックして回る。道路標識も侮れない。1日がかりである。その後撤去や移設の交渉をする。
■山立て 本祭1週間前の日曜日
  祭り1週間前が「山立て」である。「山方」として組み立て・曳山の運行を近所の工務店と町衆で行う。道路に突然曳山が現れ非日常の始まりである。当然だが道路使用許可を取得済。
  当日雨が降ると辛い。
  その日の昼過ぎには組み立てが完了し、「曳初め」として囃子方が乗り込み近所を一巡する。組み方を間違い遅れることもある。もちろん「たまに」である。
  町内の家には提灯が飾られる。
(この家の場合、提灯屋という特殊事情により年中飾っている)
  ■宵宮 本祭の前日 午後6から9時位まで
(体育の日前々日)
  宵宮の朝は曳山の外装を外すことと、からくり人形の展示のため町内の家を借り人形を設置する作業がある。写真は回り舞台が仕込まれた「岩」の搬入風景
  家の扉をすべて外し搬入する。
 

飾り終わった状態。間近でからくりを見るのはこのときが一番良。紫式部の搬送設置はWebmasterの仕事である。「姫に触ると連れて行かれる」という伝承もあり、Webmasterの余命は短いらしい。

  平行して曳山の整備・清掃、飾りの取り付けなどを行う。
  作業終了間近。昼過ぎには「宵宮引き」と称し、町内近辺を一巡する。
  夕方4時頃、提灯を準備「大吊り」という。
  吊す作業は結構大変で、宵宮終了後、後午後10時にはまた取り外し片付ける。年に6時間だけ姿を現す提灯である。
  周辺作業も。
全体のコーディネートに責任者Aの力量が問われる。
  飾り付け作業完了。宵宮の囃子は6時から。それまでのちょっとした時間がうれしい。
  曳山連盟主催の「スタンプテーリング」もある。是非ご参加ください。(来客に緊張する担当者B)
  宵宮の始まり
  先ほどの「大吊り」が宵宮の雰囲気を形作る。天孫神社には夜店も出る。お囃子がどこにいても聞こえる。来客も結構多い。
  小学生は一生懸命
  高校生はノリよく
  おじさんもいい感じ
  就学前児童に技術指導するWebmaster
  夜も更け午後10時には宵宮終了。ここから「からくり」を曳山に乗せからくりが動くのを確認し、曳山に外装を施す。夜中に完了。明朝6時起床。本祭りの準備を行う。
  ■本祭 祭り当日 体育の日の前日になる
  各町内の家は写真のように2階の窓を外し毛氈(もうせん)を懸ける。1階に幕等で曳山が通るのを待ち受ける準備がすんでいる。
  午前8時
各町内の曳山が天孫神社に向かって動き出す。
  曳山を先導するのは曳山責任者。別に先導を促す者がいる場合もある。この町は坂が多く狭い道もあるのでので、油断すると電柱にぶつかったりする。
  曳山の引き手の方々。上り坂は結構きつい。
 

午前9時
天孫神社前に集合。籤の順番に並ぶ.スタートと同時に「籤改め」という儀式がある。籤順を偽っていないかどうかの確認である。

 

「籤改め」(くじあらため)
町の代表が籤を入れた塗り物の箱を掲げ境内に入る。この間曳山は鳥居の前で待機。囃子を止め、籤改めを静かに待つ。各曳山がこれを行う

 

箱から籤を出し確認する。

 

OK。
了承が得られたので巡行のスタートとなる。神前でのみおこなう囃子「唐子」を演奏の後晴れて巡行開始となる。

  巡行中の風景。囃子とともに粽が宙に舞う。
  巡行路には危険箇所がいくつかある。写真のポイントは、京阪電車を登り切ってアーケードにはいるところ。引き手が曳山の後ろにいる。アーケードに入ってすぐは下り坂である。「曳山にはブレーキがない」。この為2本ある引き綱の一本を後ろに回し、曳山が勝手に転がって行くのを止めるのである。引き手はボランティア等素人である。曳山数トン。囃子方20人。かなり重い。回転するところの上部には信号、看板、京阪電車の高圧線。曳山の行く手にはそんなこと何も知らない観客数百人。ここはあぶないですよみなさん。
  昼頃天孫神社の行列がある
  宮司様
  お稚児さんの行列もある。
 

町家の中ではこのような飾付けをする家もある。華やか。うらやましい

  「たいそうめん」という祭りの時しか出てこない料理がある。鯖寿司もこの日はメインクラスの扱いである。この時期だけ鯖が高騰する。
  正午過ぎ
駅前の広い道路に全基が集まり昼休み。観客の方がここに集中するので例年大変込んでいる。午後1時半くらいから巡行再開である。
  「所望」(しょもう)
町中で竹の棒に左写真のような赤白の紙が軒先についていたら、この家の前で「所望」が行われるという事を示す。この年町内に貢献した人や祭りに貢献した家の前で特別に曳山を止めて、からくりを動かすのである。
  からくりを動かしているシーンであるが、この写真ではよくわからない。現地にてご確認いただきたい。
  町が小さいので曳山と観客の関係が非常に近い。観覧の際には曳山との接触が無いよう十分配慮いただきたい。
  京阪電車沿いの風景。坂道が長く囃子のテンポも速くなり勢いを増す所。しかし粽を投げてはいけないところなので観客は少ない。引き手にはこの坂が辛い。
  京阪電車の電線に触れそうな所もある。電車も通る。危険地帯である。
  祭りも終盤。
 

巡行順によるが午後5から6時位
町内に戻り、中京町の一番端までいって出発地点に引き返し、巡行終了となる。

 

巡行終了。しかし囃子方はなかなか囃子をやめない。祭りの終を認めたくないためだ。しかし終わりはやってきます。また来年お会いしましょう。

  祭りは終わったが、明日 体育の日は片付け、曳山の解体、装飾品の磨き、足洗(慰労会)と盛りだくさんである。
     
     
     
     
     
     
     
     
     

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