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殺生石山から、由来の説明。
寛文2年(1662)頃の創建。能楽「殺生石」を題材にした曳山である。鳥羽帝の女官玉藻前は狐の化身で、帝の命を奪おうとするのを見破られて東国へ逃走し那須(栃木)で殺生石という岩になるが、玄翁和尚の法力で成仏する。曳山では、和尚の法力で岩が割れてお姫様が現れ、その顔が狐に変わるというからくりを披露する。鉦、太鼓、笛によるお囃子は全13曲が今に伝わる。曳山天井画は江戸後期四条派を代表する松村景文作の「草花図」。大津祭の絵画の中でも逸品とされている。見送幕は大津出身の日本画の文化勲章受章者、故小倉遊亀さんが富士山を描いた「霽(は)れゆく」を小倉さんの許可を得て綴れ織にしたもの。国重要無形民俗文化財・大津祭の曳山「殺生石山」に伝わる鉦・太鼓・笛による祭囃子のうち、数曲を説明し演奏する。(関蝉丸芸能祭パンフより抜粋)