第三回長柄衆の集い
(2017-09-10 20:28:36) by whitesauce
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大津祭まで、あと1ヶ月!(切りました!)
本日は、明日都浜大津にて、今年三回目の「長柄衆の集い」開催しました
前半は、大津祭曳山連盟前理事長の白井様に「湯立山について」と題して、ご講演いただきました
ちなみに、今年の大津祭のポスターは湯立山のからくり、なのです
講演内容の一部を抜粋
・湯立山は岩城九右衛門という人物により、玉屋町に寄贈された
・岩城氏について
・岩城氏はもともと陸奥国の浜通り南部を支配していた領主。現在の福島県いわき市
・関ヶ原の戦いの幕開けとなった上杉景勝征伐(1580年)に参加しなかったため、12万石を没収され、秋田へ飛ばされる
・この際に磐城姓から岩城姓へ変更させられる
・湯立山の前の玉屋町の山、孟宗山がそうけんされた寛永3年(1626年)。この頃に秋田から大津 玉屋町に居を構える
・寛文7年(1667年)称号を桝屋とし、米問屋として財を成す。寛文12年には、呉服商として大阪に出店
・その後、大坂、京、江戸に桝屋を出店
・・・と、領主から大商人という華麗なる転身を果たした岩城氏
そんな方が大津の玉屋町に居を構えていたなんて驚きですね
そんな岩城氏の財力を表すエピソードが二つ
・天保6年(1835年)祇園祭月鉾の天井裏「源氏物語五十四帖扇面散図」は岩城清右衛門の筆による
・嘉永7年(1854年)江戸湾に大砲築造のため350両を拠出(大津町人で最大)
祇園祭の山鉾の中でも最も豪華とされる月鉾に筆があったり、黒船襲来後の大砲築造に大金を出したり、なんとまあ豪華なこと。。。
湯立山が13基の曳山の中で、一番大きく重量のある山というのもうなづけます
岩城氏の紹介のあとは
白井様より、天保3年(1832年)に書かれた「湯立山 山錺記」という記録を基に湯立山を組み立てる様子をスライドでご紹介いただきました
お話の中で、「湯立山は岩城氏がひとりで作られたので他の山と全く違う」「目の見えない部分まで行き届いている」と仰っていたのが印象に残りました
幕で隠れている木の部材まで飾りになっている、という細部までに込められたこだわり
ぜひ、10月1日の山建てには湯立山を見に来てくださいね、とのことでした
大変勉強させていただきましたし、また大津祭の魅力に気づくことができました!
後半は、我々、長柄衆の大津祭に向けての打ち合わせが行われました
お祭まで1ヶ月を切り、我々の支援活動もそろそろ本格的になっていきます
なんだかんだ大津祭が好きなメンバーばかり
今年も大津祭の支援はりきっていきましょー